ノーベル賞文学全集という本があります。
全集というくらいなので、一冊きりじゃなくて、全二十数巻には及ぶものです。
全部は持っていないので、全何巻なのかは知りません。
この本は、どれか一冊あれば寝るときの枕に困らないというような分厚い頑丈な作りの本です。
そのうえ装画はピカソだし、編集顧問は川端康成というような大変立派な本です。
いい夢が見られそうです(悪夢を見そうって気がしないでもないですけど)。
しかし、こんな立派な本ですが、古本即売会で並べていても、まあ売れません。
いまどき大きい重い本というのは流行りません。
それに、よく知られているような作家の場合、この全集に収録されている作品はしばしば文庫で読めたりします。
名前を見ても「誰やねん」という作家の場合は、この本でしか読めないかもしれないというような作品が収録されているような気がしますが、「誰やねん」という人の本を買おうという人はなかなかいません。
そういうようなわけで、この大きい重い、置いていても邪魔になるような本を買おうという人は、なかなかいないということになります。
しかし、この本にもいいところがあります。
一つはカラー挿絵が入ってることなので、古本屋で見かけたら、とりあえずどんな挿絵が入っているかだけでも確認していただけたらと思います。
この本の一番面白いところは、選考過程を知ることができることと、受賞者の受賞演説が読めることかなと思います。
川端康成が受賞したとき、他にどんな日本人が候補に挙がっていたかというようなことが、選考過程を読めば書いてあります。
誰が受賞したときでも、他にどんなライバルがいたのかということが、たいてい書いてあります。
世の中には、芥川賞を受賞した作品を読むより選評を読む方が好きという倒錯した趣味の持ち主が少なからずいると思うんですが、そういう人にとっては選考過程というのはなかなか面白いかもしれません。
あとやっぱり受賞演説です。
この本があまりにも売れないようだったら、そのうち受賞演説のページだけ破って自分専用のスクラップブックを作ろうかと思ってます。
実際そんなことしないで済むように、ぜひみなさん買ってください。
言いたいこと(買ってね)は言ったので、この先はおまけです。
ぼくのお気に入りの受賞演説を紹介しておしまいにします。
カミュの受賞演説です。
「私が自分の芸術と作家の役割とについて抱いている理念」、「この理念がどういうものであるかを、感謝と友情の想いをこめてできるかぎり手短に申し述べることを、せめてはお許し下さい。」
と言って、カミュはそれについて語ります。
全体はまあまあ複雑なことを言っているんですが、ぼくがとくに感じ入った部分だけ抜き書きします。
「私自身は自分の芸術をぬきにしては生きてゆくことができません。だからといって私は、この芸術をあらゆるものの上に位置づけたことは一度もないのです。まったく反対に、芸術が私にぜひとも必要であるのは、芸術がなんぴとからも切りはなせぬものであり、また、この私がありのままの姿で、あらゆる人びとと同じ地平で生きることを芸術は許してくれるからです。」
「私の見解では、芸術は孤独な歓びではありません。芸術とは、だれにも共通する苦しさと喜びの特権的イメージを、できるかぎり多くの人びとに提供して、彼らを感動させる一方法なのです。それゆえに芸術は芸術家が孤立しないことを強制し、芸術家をこの上なく地味で、この上なく普遍的な真実に服従させます。」
「そして、よくあるように自分が他の人びとと異なっていると感じたために芸術家としての道を選んだ者は、自己と万人との相似を認めなければそのさき自分の芸術を、そしてまた自分の差異を育ててゆくことができないということを、たちまち学ぶにいたるのです。自己から他者へのこの絶えざる往復運動のうちに、また自分になくてはかなわぬ美と離脱することのできぬ共同体との中間の地点で、芸術家はみずからを鍛えあげてゆくのです。」
「だからこそ、真の芸術家たちはなにものも軽蔑しません。裁くのではなく、理解しなければならぬ、それが彼らの義務なのです。」
若いときに美に打たれた人って、ときどき、世を拗ねた人みたいになることがあるように思います。
自分はこんなにも崇高なものに惹かれているのに、世の中ってなんて俗っぽいんだと。
そういう気持ちでいる間は、その人はディレッタントには成れても芸術を作る人に成れないのかもしれないなぁ、なんてことを思いました。
たにまち月いち古書即売会が、6月18日(金)から6月20日(日)まであります!
大阪古書会館で、毎日10時から18時まで、最終日は16時までです。
寸心堂、久しぶりに出ます。ピンチョンとかフランス語の洋書とか並べると思います。
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